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ご無沙汰してます。
元気にしてます。
最近、自転車で通勤してみたりします。
寒がりで、飽きっぽいので今だけかも知れません。
車の速さと違う景色が見えて、風もとても気持ちいいです。

好きなふうに脇道に入ったり、止まって葉っぱを見たり、
通った事のない道を通ったりすることが、
私は自由なんだなーと感じてしまうことの一つです。
私が今、ここを通ってる事なんて世界中の誰も知らんやろうなーとか思いながら、
まるでニューヨークの街を歩くみたいな気持ちで通ります。
ニューヨークを歩く時も春日市を歩くみたいな気持ちで歩いていた気がします。
これができるのは私の才能だと思います。
どこを通る時も旅みたいに新しい楽しい気分です。

会社を出て、家に帰ろうとした時に気がついたのですが、
バスに乗ることが嫌だと感じているようです。
思いもよらなかったのですが、
あー、今日はバスで帰らなくていいからよかったと
思ってることに驚きました。
バスはみんなズルして、押すな押すなで、
気分が悪いのです。

嫌な気分で家に帰らないといけない。

穏やかそうなお爺さんも人を押しのけて慌てて優先席を取ります。
優先席に座らないと、譲ってくれる若者がいないからお爺さんも必死です。

中国の方が、絶対に並ばないとよく批判されてますが、
あれは人が多すぎて、並んでたって自分の番がくる確証がないからだと
何かで読んだけど、
押しのけたり横はいりしないと列車に乗れないし、
食べられない環境がそうさせたんです。
順番がこないなら並ぶ文化は産まれないし、
習慣になるはずがない。

座れる保証がないから、お爺さんも人を押しのけてニモカタッチです。

N鉄バスには、
荷物で席を占領する人、
訳のわからない身の上話を大きな声で話す人、
お化粧を一から始めて顔を完成させる人、
あと、本当に嘘みたいでびっくりしたんですが、
一番後ろの席でいい匂いをさせながら
カップラーメンを食べてる学生もいました。

遠くから美味しい匂いがしたので、
振り向いて、思わず、「えー!!」
って言ってしまいました。
腹ペコでも、せめておにぎりとかじゃ駄目だった?

いい人もいるんでしょうが、圧倒的に悪者が目立ってます。

地下鉄サリン事件に巻き込まれた方を実際にインタビューした
村上春樹の『アンダーグラウンド』を読んだのですが、
道路に倒れて苦しんでる人を見たって知らんぷりで通り過ぎる人達は、
普通に通勤していきます。
あーたぶん本当に実際にそうだったんだろなと思います。

一人一人は優しくて思いやりがあっても集団心理で動かなくなるのかね
恐いね

龍馬伝、盛り上がってますねー
龍馬大好きなのに何故か見てないです。
あのフィルムの色が嫌なのかも。

今日は、大政奉還の日です。ドラマもこの辺り来てるのかな?
143年前の、今日。
今頃、龍馬、今頃は何考えてたかな。
龍馬達の頑張りのおかげで、
日本は自由と平等と民主国家を手にしたけど、
龍馬は今の日本をどう思うかな。

龍馬は「人は利によって動く」と常に言ってたそうで、
まさにそのように人を動かしたけど、
今でもここの部分は、強く引き継がれていて
時代変わって、より「人は利によって動く」
ことになってるように感じます。

龍馬ならきっと、N鉄バスでお年寄りの手をとって席に座らせたろう
席を譲らない若者を叱って、
お爺さんを、我先に乗る我先爺さんにはしなかったろうな

龍馬自身は自分の欲なしに、
真っ直ぐに日本の将来を願って動きまわった人だから、
もうお腹がペコペコで、もしかしたらバスの中でおにぎりは食べたかもしれない。

143年後
求めた自由と平等の先にどういう世の中がくると想像したかな?
こんなんなったよ、龍馬

自分は亀山社中で儲けた利益を国のために使ったけど、
皆がその様に国のために動いてくれるとは限らないことも
分かっていたかもしれない。
賢くて想像力あるから、
自分がそうだからといって、皆がそうなる訳ではないこともわかってて、
自由と平等を手に入れることの一長一短も全部、分かっていたかもしれないな

もしかしたら、
自分のことしか考えない自分勝手な世の中になって、
犯罪なんかも増えるがじゃ、そしたらわしが守っちゃらないかんきに。
とか思ってたかもしれん。
それで武田鉄也が困って「おーい!龍馬!」と呼んだんだ、たぶん絶対そうだ。
あれは武田鉄也氏のきんぱち発言だったのかもな。

それでも龍馬は、命をかけてそれを求めるほど、
それを願い、そして不平等の中に本当に苦しんだんだと思う。

いやだー 龍馬、この一ヶ月後に暗殺や。

いつも思うけど、人を殺さないと出来ない主張って
いったいどういう主張だろうかね。
必要かな?
自分の主張を抑えてくるから?
どんな素晴らしい信念も、宗教だって理解できないね。
龍馬の時代においての命は、
自分のものでありながら、自分のものではないような時代だから
現在の主張とは訳が違うやろうけどね

龍馬が邪魔な人は多かったにしろ、
もっと生きてアドバイスして欲しかったよ。
龍馬に直に触れる人が一人でも増えていれば、
クリーンな政治、とかいう言葉も生まれなかったかもしれない。
本当に残念やな

尖閣諸島の事件とかも、あの主張も、もう何なんやろ。

   

あれが欲しい、あの島欲しい
あれ食べたい、全部食べたいな、一人で全部。

って、欲って止めども無く広がって
世の中は、本当に大事なことを考える龍馬を何度も殺してしまうことになるって
そういう気がする。
人のために動いたり、譲ったりすることはそんなに損なのかな?
損って何かな?
得するってどんなことだろう。

人のために動くことは損なんかじゃなくて、
損得だけで動くことが、本当に損をすることだと思うな。
そしてそうなっても、
本当の、損をするという意味もわかってないんだ。

自分勝手な私だけど、それはわかるんだ。

はやぶさとか、サッカーが湧いて
日本の、日本人の活躍が見えて嬉しいです。
宇宙ビジネスに詳しいホリエモンさんが言ってたけど、
小惑星って宝の山だって。
そうだろな、色々なレアものの塊なんだろう。むき出しの。
生命体として最後に産まれて地球を牛耳ってる風な“人類”が作り出すものが、
それらの宝にだって負けないくらいキラキラしているってことに焦点を当ててみてます。
私は昔、けっこう最近、いやいや今でもか。
人間は頑張らないと、重力に負けて地球に吸い込まれると思っていました。
重力に負けてブラックホールになるから頑張らな、と。
そして、皆が同じ方向に右向け右に、進めば、
それもそれで地球が速く回って振り落とされてしまったり、
困るねぇってまた上手く回らなくなるから、ヤバイと。
だから地球上には大陸が分散されてて、民族が違って、
違う価値がそれぞれ生まれ、
皆それぞれの大地でそれぞれの方向にベクトルが向くようになってるんじゃないかと思う。
私特有の思い込みを必然風に収めてしまったよ。
でもそうして、ちょこんと地球に乗っかって、人は様々な事をしてるんだと思う。
絵の説明をする訳ではないけど、
ベクトルを画面の中に入れる時は、自分の進む方向を思って描くものと、
もう一つ、重力の対極に自分の立つ力を思って描き始めました。

大げさだけと、天に向かって重力に逆らう人間の姿を思っています。

全く自立出来てないのに、偉そうにいいますが、ね。

なんでか、このあたたかい地球の存在を敵視してるかのようですが、
そうじゃなくて、この地球の持つとてつもないモノに負けないくらい、
自分も立っていないといけないと思う訳なのです。

サッカー選手がゴールを目指して試合するけど、
あれは、あのゴールじゃない、
遠いそれぞれのゴールを目指してやってるって気がとてもする。

試合中、選手達がコロコロとボールを転がしているけど、
あれは地球の表面を、自分の夢と皆の夢とを転がしているんだと思った。

そして、今日描いていたら、
サッカー選手がボールを転がしている時のような気分になった。変なの。

ドリブルしたり、トラップしてシュートや、
パスや立ち止まって辺りをみわたしたり、
あのようにひとつひとつ丁寧に、大事に、
それまでの練習や経験、技術を生かして、
それでいてアグレッシブに、迷う瞬間も与えられず、
ゴールを目指してるように、私は出来てる?

そう思って、あの姿がまた本当に鮮やかに見えたねー。
しかもきつくて、体力もギリギリ、使い果たして、
それでいてあの鮮やかさだもんね。すごいな。

うちは、すぐ机の上で寝てしまってるもんね。

でも本当にすごいよ、彼らは。
あの勢いのあるボールをガツンと胸で捉えて、
次の瞬間には自分からの発信へのボールと変えてる。

あのパスはエネルギーの伝達手段なのかもしれないな。
このパスは、うぅ、あいつったらスゲーな!とか、
んー!伝わりにくいじゃないか、これじゃあ!とかあって、
それが伝わってきて、今度は自分からの発信へ繋がる。
どんなパスでも素敵だな。
あいつへ届けと気持ちを込めてキックしてさ。

ちょっとサッカー素敵だな。
サッカーっていうかチームプレーっていいな。
すごいモノを生んでるな。

でも私だってそう。絵という伝達手段を持ってるんだ。
手段というと嫌な言い方かな。
どういう風に伝わるかわからないけど、
そういうモノを持ってるってのが素敵なことなんだ。

そうするとみんな日本代表なんだ。
地球重力対極ベクトル会の。 わーいわーい
資源はたくさん使ってしまっちゃってるけど、
地球はますます大きなエネルギーを放出している惑星になっていくね。
いやぁ、サッカー素敵だったなー
ありがとう!日本代表!

大手を振って帰りました。
 
 
別に何かいい成果を出したわけでも、
なーんでもないけれど
昨日までの雨が止んで、
天気がとても良くて気持ちよくて、風も心地よくて、
よし、今日は大手を振って帰ってみようかなと思いついたのです。
 
 
足をいつもより少し高く上げて、手は前にも後ろにも大きく動かしながら
少し行進みたいになっていたかもしれないけれど、
そうして歩いてみましたところ、
何か気持ちの良い気分がますます気持ち良くなって
いつもの帰り道が楽しくなってくる感じがしました。 
初めて訪れた街を歩くようなウキウキ感です。
 
 
調子に乗るというのは、私はこういうことなのだろうと感じます。
 
 

1 こう感じた
   ↓
2 こうしてみた 
   ↓
3 1の「こう」が2の「こう」でパワーアップした
   ↓
4 わーい
 
 
 
 
いつも、線に想いを乗せたいと願っていますが、
どうすればこれが本当に乗っかるのかわかりません。
 
想いは目に見えないから、
さぁさぁこちらへと、自転車のカゴに乗っけることも
漬け物を漬けるみたいに線の中に浸すことも出来ないですが
 
よくわからないけれど、なにか、こういうことなのかなと思うのです。
 
 
 
帰り道の途中で面白い蘭の花屋さんと、
マカロンの美味しいお店を見つけました。
蘭とマカロンは特別好きじゃなかったけど、
それらに対する気持ちが変わった出会いでした。
 
 
これは大手を振って歩いたから見つけれたと思います。
 
 
ちょっとの思いつきや感じたことが
膨らんで繋がっていくことが面白いなといつも思います。 
そういうことが自分の中でどんどん大きくなっていく瞬間が面白いし、
そういう膨らみが作品になります。
 
 
旅先で初めて歩く道だけじゃなく
いつもの帰り道も同じようにわくわくして歩いて生きていきたいと思います。

はじめまして
カネコです。 

ブログ。
よろしくお願いします。
 
 
 
ブログって、ブックに似ているから、自分史みたいなもので、
きっと語源は本に繋がっているという気がしましたが、
ぜんぜん違いました。
 
bookの語源は、ブナの木bokからきてるけど、
ブログはWeb logから省略されてblog
 
昔は、船から海にロープをくくりつけた丸太(log)を流して、
船から丸太が離れていく速さを測って記録してたんだって。   
へぇー
それを航海日誌(logbook)につけてたと。   あ、bookが出てきました。
 
 
航海日誌とは海賊みたいでなんか素敵です。
それに、ブログって言葉よりも、ログブックって言葉のが
口に出したときの聞こえ方が好きだなあ
 
 
 
 
そういえばいつか部屋を片付けていた時、
引き出しの奥から意外なものがたくさん出て来て驚いたんだけど、
それはさて何でしょう。
 
 
1 消しゴムの山
2 宇宙人が落として行ったと思われるビーズ
3 なんだか知らない何かの鍵
 
 
どれも正解なんだけど、
正解は、手紙でした。
 
 
それも、出してない手紙。
すべて宛名もある
見てみると中には、
これ出さなくて良かったのかな?って思うくらい
伝えたかった内容のものもありました。
 
 
自分で書いているわけのわからない日記とは違う、
誰かへ宛てたということが、
伝えたい気持ちを味方に、言葉を的確に選べているというか、
身体からまっすぐ出てきた感じがありました。
 
 
なんでこれらをポストへ出さなかったのかわからないけど、
思ったことは、
この部屋は伝わらなかった気持ちでいっぱいなんじゃないかということ。
 
 
もやもやと溜まって滞り、澱んでいる感じも少しするけれど
もっとあたたかな、大事に大事にしまっていた、と言う感じもしました。
 
 
もう宛てられた人へのもとへ行くことはないかもしれないけど、
書いた時の気持ちがものすごく鮮明に思い出されて
ほんわかというか、とにかく何かたくさんの想いでみちみちに満たされている感があって、
 
出せばよかったとか、出さなくてよかったとかいう思いをよそに
知らぬ間に、この部屋はそんな部屋になっていたんだと、
ただただその現象に自分で驚いてしまいました。
 
 
 
 
自分がこうやって何かしら書かせて頂くことに至って、
どういうことを書いたらいいかなーと思いますが
こうして発信する以上は
何かしらの意思や気持ちが、読んで下さる方へせめて出来る限り伝わりやすいように、
発信出来たらなと思います。
 
それは私が自分自身に宛てて描いている手紙のような自画像とおんなじことで、
伝わって欲しい気持ちを味方にすることで
想いは身体の中から出てきやすくなると思います。
 
 
でもそれは、もしか誰かに伝わればものすごく嬉しいけれど、
本当は、何かカタチとなって産まれてきた、自分の身体から出すことが出来たってことに
ただもう私は満足しているのかもしれない
引き出しの中にしまわれた手紙達みたいに。
 
 
ぼく達、引き出しの中から出てきたよーって感じで、
部屋から少し出てみる、(少しどころかネットの世界にだから少しじゃないけど)
外の風に当たってみるという感じで、
もしか私にも、言葉達に光を当てることが出来るかもしれない気持ちです。
 
 
 
風をあてる。
光をあてる。
 
風に、光に宛てるっていいね
 
 
「言葉を風に宛てる。」
「言葉を光に宛てる。」
 
いいな、これ。
よし、宛てていこうと思います。
 
わーい
ありがとうございます!